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「大石誠之助」

 明治43(1910)年5月、天皇の暗殺を企てたなどとして社会主義者ら数百人が検挙され、翌年1月、12人が死刑となった。熊野地裁でも幸徳秋水と交友のあった新宮市の医師、大石誠之助ら6人が連座し、死刑や無期懲役になった。

 ▼この事件で死刑になった元牟婁新報記者、管野スガが獄中、針で穴を開けて書いた手紙が残されている。「爆弾事件ニテ私外三名近日死刑ノ宣告ヲ受クベシ御精探ヲ乞フ 尚幸徳ノ為メニ弁ゴ士ノオ世話ヲ切ニ願フ 彼ハ何ニモ知ラヌノデス」とある。

 ▼事件に関与したのは私たち4人、他の人は関係ないというのである。その一端が公式に認められたのは2001年。新宮市議会が当地で裁かれた6人について「軍国主義が進む中での自由主義者、社会主義者の弾圧事件であり、彼らはその犠牲者」として名誉回復と顕彰を宣言する決議案を可決したことによる。

 ▼そして今回、大石に新宮市が名誉市民の称号を贈ることを決めた。平和・博愛・自由・人権を訴えた思想と活動などを先覚的な取り組みと評価したという。

 ▼長い歳月をかけて事件の実相を明らかにし、無実の人を救済しようとしてきた市民の活動が顕彰につながったのか。それとも共謀罪の制定など、なにかと息苦しくなる時代の流れへの警鐘なのか。

 ▼市と市議会の決断に賛意を示すとともに、私たちも平和・博愛・自由・人権の価値に光を当て続けなければならないと思った。 (石)


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