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「大雨災害」

 先週の半ばからの大雨で、西日本各地に甚大な被害が出た。9日正午現在、共同通信のまとめでは100人が死亡、50人以上が安否不明。避難所に身を寄せている人は15府県で2万3千人に上る。

 ▼川の堤防が決壊し、多くの住宅が2階まで浸水している。各地で山崩れが相次ぎ、崩壊した家屋から生き埋めになった人たちの救出作業が続く。新聞などが伝える写真を見るだけで7年前の9月、紀伊半島を襲った大水害の記憶がよみがえる。

 ▼幸い今回は、紀南の各地に大きな被害はなかった。けれども7年前の水害では61人の死者、行方不明者を出し、全壊家屋は367戸、半壊家屋は1840戸に上っている。

 ▼それとそっくりの状況がいま、九州から四国、中国、近畿各地に広がっている。豪雨の中、身内の安否を心配し、避難所に身を寄せている人たちのことを思うと、とても人ごととは思えない。

 ▼同時に、こうした豪雨が田辺市街に襲来したらどうなるかと考えた。参考になるのは1889(明治22)年8月の豪雨である。田辺市史は19日に368ミリ、20日に902ミリという災害史に残る降水量があったと記し、奇絶峡では大規模な山崩れが起きてダム湖ができ、それが決壊して下流の民家が水没したと記録している。

 ▼闘鶏神社の横手にある市消防本部第2分団詰め所に立つ明治大水害の記念碑もまた、地面から約110センチの高さまでこの地が水没したことを伝えている。 (石)


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