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捕鯨文化が日本遺産に 命に感謝する物語

 熊野灘沿岸の太地町、串本町、那智勝浦町、新宮市に伝わる捕鯨文化「鯨とともに生きる」が日本遺産に認定された。文化庁が日本の文化や伝統を物語る仕組みを認定する制度であり、捕鯨文化に光が当たったことを喜びたい。

 鯨は古来、富をもたらす神として位置付けられてきた。熊野灘沿岸には鯨の回遊路に近い地の利があり、江戸初期には組織的な古式捕鯨が始まった。鯨の到来を見張り知らせる役から、鯨に網を掛ける、もりを打つ、捕獲した鯨を運搬する、船に不足の資材や食料を運ぶ、解体、加工する、舟や資材を作る、それを管理、修繕する役まで、多くの人が役割を分担して従事し、地域全体に利益が回る仕組みが作られていた。

 いまも沿岸捕鯨が続く熊野灘沿岸には、そうした仕組みを伝える史跡や文化財が数多い。鯨を見張る山見台、その担当者同士が連絡を取り合う中継所、沖の船団に情報を伝達するのろし場、総指揮を執る支度部屋などの跡がある。太地町や新宮市に伝わる鯨踊りは地元小学生が郷土芸能として学び、古座川を舞台に毎年繰り広げられる河内祭にも鯨船が登場する。

 捕獲した鯨は、そのすべてを古くから生活の営みに生かした。肉は食用にし、脂を取り、皮や骨、ひげ、筋、血液の粉、胃の中に残った食べ物までも生活道具や肥料に活用した。少しも無駄にしなかったのは、鯨の命を貴び、その恵みに感謝してきたからだ。鯨が死ぬときには念仏も唱えてきたという。

 太地町には古式捕鯨時代に建立された供養碑が現存し、毎年4月29日には供養祭が営まれている。地域に鯨文化が根付き、鯨を大切に考え続けてきた証しだろう。

 しかし、こうした文化はなかなか理解されず、捕鯨活動に対する欧米諸国からの反発は強い。捕鯨活動反対のキャンペーンを張る映画が上映され、反捕鯨活動家が逮捕される事例もあった。

 こうした事態に、県は「これまでは捕鯨文化の正当性を積極的に訴える努力が不足していた」として、昨年から講演会や博物館の企画展などを開催し、アピールを続けてきた。

 仁坂吉伸知事は「われわれがこういう文化を持って懸命に生きてきたことに対する尊敬の念はあってしかるべきだ。反捕鯨を訴える人にも、その意義を分かってもらいたい」という。

 人は動物や植物の命を頂いて生きている。原点は人と動植物の共存であり、それを今に伝える古式捕鯨の物語を広く世界にアピールしたい。そこから捕鯨を巡る意見の対立を解きほぐす可能性が生まれるのではないか。

 世界遺産の熊野参詣道、世界農業遺産、ラムサール条約の海。紀南には、世界に誇れる文化や自然環境が多い。そこに新たに「鯨とともに生きる」物語が加わる。

 こうした恵まれた資源を生かすためには、地元からの発信が不可欠だ。日本遺産認定をそのきっかけにしたい。 (K)



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