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紀伊半島大水害6年 語り継ぐ被災地への思い

 紀伊半島大水害から6年。被災直後の混乱期を含め、節目の行事の取材などで、すっかりなじみになった被災地だが、訪ねるたびに当時の記憶と恐ろしさがよみがえる。身近な人を亡くしたり、大切なものを失ったりした人たちの悲しさ、つらさは想像もつかない。

 それでも人々は復興に向けて懸命に歩み続け、希望を持とうとしている。被災地はそんな思いが入り交じる場所だった。

 30代の記者は深層崩壊が起き、5人が亡くなった田辺市伏菟野を訪れた。崩壊した斜面は2年半前に復旧し、麓では民家が再建され、田畑も再生された。そこを利用し、水害後に遺族も含む地区住民ら4人でつくったグループがキクラゲを栽培している。

 訪れた時も、4人は作業に追われていたが笑顔で迎えてくれた。その笑顔に「伏菟野を元気にしたい」という思いを強く感じた。

 代表の打越さとみさん(48)の「この場所で取り組むことにこだわりがある」という言葉が印象深かった。荒れ地にならないようにと始めたグループの活動は復興への軌跡そのものだと思った。

 別の30代の記者は、田辺市本宮町三越の奥番地区に再建された長命寺の落慶法要を取材した。

 水害では深層崩壊で起こった土石流が集落を破壊し、だれも住めなくなった。住職の九鬼聖城さん(59)=本宮町切畑=は「廃寺にすると地域の歴史も壊れてしまう。再建なくして災害復興はない」と再建を決意したという。

 新宮市熊野川町田長の道の駅「瀞峡街道熊野川」ではこの夏、水害時の最高水位を示す表示板が建てられた。地面から8・27メートル。その高さを仰ぎ見て、改めてあの洪水のすさまじさに驚かされた。

 そこで物産販売所を運営する団体の代表、竹田愛子さん(76)は「ここまで水が来る時もあるんやで、と言い続けていかなね」と話してくれた。犠牲者14人の名前が刻まれた慰霊碑に向かい、自分たちも教訓を伝え続けなければと誓った。

 50代の記者は、深層崩壊と土石流に見舞われた田辺市熊野を訪れた。今も復旧工事が続くこの現場には被災以来、毎年1度は訪れているが、来るたびに当時のすさまじい状況がよみがえる。

 それでも復興への歩みは進んでいる。百間山渓谷入り口付近に住民や出身者が今春、サルスベリを約50本植え、そのうちの2本が花を咲かせた。地元の岡田克哉さん(58)は「300本まで増やし、復興のシンボルにしたい」という。出身者の話からは郷里への愛着が伝わってきた。

 那智勝浦町の那智川流域でも大規模なえん堤工事が続いている。そこに完成した県土砂災害啓発センターへの来訪者は多い。坂口武弘所長(49)は「それだけ災害への関心が高まっている」と話す。

 災害は時、所を選ばずに発生する。それに備えるためにも、災害の教訓を伝え続けなければならない。それは地域に根を張る新聞の役割でもある。 (Y)



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