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和歌山県内最古級の可能性 田辺市上秋津の砂防堰堤

 和歌山県田辺市上秋津の左向谷(さこだに)川にある「迫戸(せまと)の堰堤(えんてい)」が、明治時代に築かれた県内最古級の砂防堰堤である可能性が高いことが分かった。国や地方公共団体などが明治以降の歩みを次世代に伝える「明治150年」事業として、財団法人「砂防フロンティア整備推進機構」(東京都)が調査した。

 迫戸の堰堤は、右会津川との合流点から1・5キロほど上った所にあり、今も砂防堰堤として機能している。地元では1889(明治22)年の大水害直後に建設されたと伝えられている。

 4月下旬、同機構の井上公夫技師長(69)が現地を訪れ、地元住民らから話を聞いた。井上技師長によると、明治時代の特徴であるコンクリートを使わない「空石積(からいしづみ)」で造られているという。露出している石積は高さ5メートルほどだが、下流側にコンクリートの補強が施されており、その下にはさらに5メートルほどの石積が隠れていると説明した。

 当時としては規模が大きいため、国や県が関わったことが考えられる。1873(明治6)年に来日して1903(明治36)年に離日するまで、各地で堰堤建設を手掛けたオランダ人土木技師のヨハニス・デ・レーケが手掛けた可能性があるとみている。大水害の被災地を訪れたという三栖村の文書も残っている。

 ただ、この堰堤は県の砂防設備台帳には記されておらず、堰堤から約1・5キロ上流に立つ左向谷の砂防工事すべてが終わったことを記念した石碑「護郷之碑」(1981年建立)にも刻まれていない。

 井上技師長は「砂防法ができたのは1897(明治30)年。それ以前の建造で台帳に載らなかったため、石碑に反映されなかったのだろう」と推測している。


写真【100年以上使われている迫戸の堰堤(和歌山県田辺市上秋津で)】

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