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《9》漁師町の女

 夕刻の長距離バスでリスボンをたち、海辺の田舎町ナザレへ。暮れなずむ空が辺りの空気をより透明にするころ、私はその町に降り立った。

 バスターミナル前の路地が騒々しい。手書き看板を手に民家泊の客引きをする漁師町の女たちのたくましい姿はガイドブックにも紹介されていた。一人の女性が英語で懸命に語りかけてくる。

 「海辺の部屋、きれい、見るだけでいいから」なぜだろう、持ち前の警戒心に不意をつかれるかたちで、私はその女性について見知らぬ町を歩いた。

 町の中心から海沿いの大通りを3分ほど歩いただろうか。通されたのはしっかりとしたマンションの一室だった。矢継ぎ早の「素晴らしい部屋」アピールを聞きながら、やたら広い部屋を見て回る。窓からは海が一望。ドアには二重錠も付いている。彼女は相場の半額以下の値段を提示してきた。けれど、信用することはできない。

 建物の外、いつでも逃げ出せるところまで戻り「一人旅には広すぎる」と断りを入れる。すると彼女は豹変(ひょうへん)するそぶりもなく、相変わらずの早口で私に携帯電話の番号を渡してきた。「気が変わったら電話してね」

 物件からバスターミナルまで並んで歩く帰り道、私に対する営業を終えた彼女は不意に素顔らしい表情で「この道を、お客を連れて何度も行ったり来たりする、これが私の人生なの」と、少し自嘲ぎみに笑った。

 「ごめんね」「いいのよ、気にしないで。いい旅を」私たちは町の入り口で別れた。

 海沿いのホテルに宿を取り夕暮れの海岸に絵の具を持って出掛ける。人けのない海岸はやがて桃色に染まり心地よい風が町へと吹き抜けてゆく。



【夕暮れの町に降りたった。空気の印象】

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