和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年04月19日(金)

防御性高い山城だった 白浜の勝山城跡、発掘調査で判明

柵や建物があった痕跡が見つかった土塁(和歌山県白浜町の勝山城跡で)
柵や建物があった痕跡が見つかった土塁(和歌山県白浜町の勝山城跡で)
地図・勝山城跡
地図・勝山城跡
 和歌山県の白浜町教育委員会は、南北朝から戦国時代にかけて熊野水軍の一翼を担った安宅氏の山城「勝山城」跡(白浜町塩野、安宅)を発掘調査した。曲輪(くるわ)を囲むように土塁に柵を張り巡らせ、敵を警戒する見張り台が立つなど、防御性の高い山城であったことが分かった。町教委は、11日午後1時~4時に現地説明会を開く。


 安宅氏の城館はこれまで10カ所が確認され、うち5カ所が「安宅氏城館跡」として国の史跡に指定されている。町は追加指定を目指し、1月17日から勝山城跡の発掘調査をした。

 勝山城は城館群の中で最も標高の高い212メートルに築かれた。領地だけでなく、海上も見渡せる安宅氏の領域支配のシンボル的存在。二の曲輪(東西約13メートル、南北約25メートル)の南側と一の曲輪(東西約10メートル、南北約23メートル)の東側には連続堀切が築かれており、一部に石積みが残っている。

 今回の調査では二の曲輪を中心に約60平方メートルを発掘した。二の曲輪からは土塁へ上る石段が見つかった。地形に合わせて斜めに築かれているのが特徴。その近くの土塁からは柵や建物を建てていたくいや柱の跡が見つかった。くい跡は反対側の虎口近くの土塁からも見つかっており、周囲を囲むように柵が築かれていたようだ。建物跡は柵の外にあり、簡易な見張り台が建てられていたとみている。

 一の曲輪からは波模様が描かれた貿易陶磁器の青磁碗(わん)の破片が見つかった。当時の勢力を知る上で重要な遺物という。

 町教育委員会の佐藤純一学芸員(40)は「遺物は少ないが、防御性能の高さを測り知る結果となった。特に海からの侵入に目を光らせていたのだろう」と話している。



 現地説明会への参加希望者は、8日までに町教育委員会生涯学習係(0739・43・5830)へ申し込みが必要。定員は30人。当日は白浜町安宅の清水橋北詰すぐの空き地に集合する。発掘現場まで徒歩で約1時間かかるため健脚向け。雨天中止。


 安宅氏城館跡 2002年から城館群の発掘調査が始まり、20年に国史跡に指定された。指定された5カ所は、安宅氏居館跡(安宅)、八幡山城跡(安宅、矢田)、中山城跡(田野井)、土井城跡(同)、要害山城跡(富田)。今回、追加指定を目指しているのは勝山城跡のほか、大野城跡(大古)と大向出城跡(日置)があり、23年度に発掘調査を予定している。このほかには古武之森城跡(塩野)と日置城跡(日置)がある。