和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2019年08月20日(火)

平成から令和へ 次代を担う人育てよう

 論語に「温故知新」という言葉がある。『広辞苑』では「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること」などと説明している。平成の時代を振り返り、吟味した上で、令和の時代を迎えたい。

 まず、平成の時代で特筆すべきことは、インターネットやスマートフォンが普及し、生活全般の利便性が高まったことだろう。どこにいても調べ物ができ、誰とでもつながりやすくなった。

 記者の仕事も変化した。写真を現像する必要もなければ、紙に原稿をまとめる作業も省略できる。デジタルカメラで撮影し、パソコンに原稿を打ち込めば、瞬時に写真や記事を出稿できる。

 情報伝達の手段も、紙の媒体だけでなく電子媒体が大きな役割を持つようになってきた。

 しかし、真実に迫り、正確な情報を伝える報道の在り方や役割は変わらない。私たちは元号が令和に移っても、読者とともに歩んでいく。

 平成の時代に、紀南の地であった大きな事柄といえば、まずは市町村の大合併である。

 合併特例債など国の強力な指導と支援もあって、県内ではいくつもの合併劇があり、市町村数は50から30になった。田辺市とその周辺でいえば田辺、大塔、中辺路、本宮、龍神の5市町村が合併して新たな田辺市が誕生。熊野本宮大社も龍神温泉も、同じ行政区域になった。日高、西牟婁、東牟婁と三つの郡にまたがる大合併だったが、いまや一つの市としての存在感を高めている。

 多くの外国人も訪れる時代になった。田辺市街地でリュックを背負って歩く外国人を見掛けない日はないし、熊野古道を歩けば、すれ違う人のほとんどが外国人。宿泊客の約9割が外国からという民宿もある。

 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録され、熊野の生活と宗教、文化が脚光を浴びるようになった証拠だろう。地域の誇りとして、新しい時代に継承していきたい宝である。

 紀南では大災害も多発した。2011年9月の紀伊半島大水害では多くの人命が失われ、その傷跡は今も残る。

 南海トラフ巨大地震の恐れも増している。新しい時代には、地震と津波への対策、地域の防災力が問われるだろう。

 県内の人口も減少している。今年4月1日現在では92万7808人。30年前に比べて約13・5%(14万5905人)減った。

 将来の人口推計によると、2035年には76万9千人になり、国勢調査が始まった1920年の規模に近くなる。少子高齢化も一層加速する。

 そんな時代にどう対応するか。まずは地域の資源を磨き、価値を高めることが欠かせない。いつの時代も地域を育み、歴史を刻むのは、その地に生きる人々だ。手間はかかっても、やがて花が咲くと信じて、次代を担う人材育成に取り組み続けるしかない。 (N)