和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2020年11月29日(日)

トルコ軍艦遭難遺跡を国史跡に 文化審が答申

「樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡」のうち「樫野埼灯台と旧官舎」(和歌山県串本町樫野で)=県教育委員会提供
「樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡」のうち「樫野埼灯台と旧官舎」(和歌山県串本町樫野で)=県教育委員会提供
国の登録有形文化財に登録されることになった森家住宅(和歌山県印南町崎ノ原で)
国の登録有形文化財に登録されることになった森家住宅(和歌山県印南町崎ノ原で)
 国の文化審議会(佐藤信会長)は20日、「樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡」(和歌山県串本町樫野)を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。

 遺跡は「船甲羅」「遭難者上陸地」「樫野埼灯台」「樫野埼灯台旧官舎」「遭難者墓地」からなる。紀伊大島の東端、樫野崎の突端にある樫野埼灯台とその周辺海域で発生したオスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号の遭難に関する文化財。

 樫野崎の海抜約38メートルの高台に造られた樫野埼灯台は、イギリス人技師R・H・ブラントンにより建設された日本最初期の石造り灯台。ブラントン設計の灯台の中で最初に点灯した灯台であり、1870年6月10日(旧暦)に初点灯し、現在も現役灯台として機能している。

 遭難事件は1890年9月16日深夜に起きた。台風によりエ号は樫野崎突端から200~300メートル南西、海岸から100メートルの沖合にある「船甲羅」に衝突、座礁した。500人以上の乗組員が死亡した。

 海に投げ出された乗組員らが樫野埼灯台の灯火を頼りに泳ぎ着いたのが「遭難者上陸地」。事故後、地域住民の協力で遺体や遺品が回収され、犠牲者は「船甲羅」と樫野埼灯台の中間地点にある「遭難者墓地」に葬られた。

 指定地面積は8万6237・69平方メートル。エ号の海難事故とその後の防災意識や日本とトルコの国際交流、慰霊の歴史を明らかにする貴重な遺跡となっている。

 国史跡指定を受けて串本町の田嶋勝正町長は「エ号の遭難は、日ト友好の懸け橋になった事件で、国際的な海難事故に対する民間・行政の対応や、その後の全国的な支援は語り継ぐ重要なもの。『友好原点のまち』として、関係団体と連携を図りながら、史跡の維持管理とPRに努めたい」とコメントした。

 このほか、「湯浅党城館跡 湯浅城跡 藤並館跡」(湯浅町青木、有田川町下津野)も史跡に指定することを答申され、今回の指定を含めると県内の史跡は30件(特別史跡1件含む)となる。

■印南の「森家住宅」国の文化財に

 国の文化審議会は、「森家住宅」(印南町崎ノ原)の主屋と隠居屋を、国の登録有形文化財(建造物)にすることも答申した。これらの建造物は、印南町で初の登録有形文化財(建造物)となる。

 森家住宅は、切目川沿い中山間部にある崎ノ原郵便局に隣接して立つ郵便局長の住宅。

 主屋は平屋、入り母屋造り、瓦ぶきで南に面して立ち、1916年に建設された。建設当時は中本家という農家の住宅だった。軒先は出桁造り、内部は四間取りで、低い軒や間取りなどに紀州の山間農家の伝統を継承している。

 隠居屋は主屋の西側に接して立つ平屋。入り母屋造り、瓦ぶきで、1965年に建設された。屋根には崎ノ原集落の住宅で散見される青色の釉薬瓦が使われており、建設当時の流行を伝えている。主屋とともにこの地域の歴史的景観の形成に寄与している。

 今回登録されることになった県内の登録文化財(建造物)は、森家住宅主屋、隠居屋の2件のほか、旧土谷家住宅(和歌山市紀三井寺)1件、島影家住宅(同)1件、浦家住宅(広川町広)4件、旧楠本家住宅(日高町原谷)1件。

 県内の登録文化財(建造物)は、今回登録されることになった5カ所9件を含めると104カ所291件になる。