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核兵器廃絶へ決意新た 第五福竜丸建造75年、串本でつどい

第五福竜丸建造から75年の節目に開かれた「平和のつどい」(7日、和歌山県串本町串本で)
第五福竜丸建造から75年の節目に開かれた「平和のつどい」(7日、和歌山県串本町串本で)
 和歌山県串本町串本の町文化センターで7日、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくした第五福竜丸が、同町(旧古座町)で建造されてから75年の節目を迎えたことに合わせた「平和の歴史展」の記念イベント「平和のつどい」があった。ロシアによるウクライナ侵攻で核戦争の危機が叫ばれる中、第五福竜丸建造の地から核兵器の廃絶を訴えた。


 第五福竜丸は古座川の中州にあった古座造船所で建造された全長29メートル、幅6メートルの木造船で、1947年にカツオ漁船第七事代丸として進水。マグロ漁船に改造され、53年に母港を静岡県焼津市とする第五福竜丸となった。54年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で「死の灰」を浴びた乗組員23人が被ばくし、同年9月、無線長の久保山愛吉さんが死去。原水爆禁止の国民的な運動が起こった。

 平和の歴史展は、町や住民団体でつくる「第五福竜丸建造の地平和の歴史展実行委員会」(西野政和実行委員長)が主催した。実行委では今月2日から文化センターで、第五福竜丸が建造された経緯や写真といった資料のほか、広島平和記念資料館(広島市)が地元の高校生らと取り組んでいる被爆体験を聞いて描いた絵などのパネル約100点を展示。最終日の7日には同センターで「平和のつどい」を開き、約40人が参加した。

 この日はまず、地元の音楽グループ「SAM」がウクライナを舞台にした名作映画「ひまわり」のテーマ曲などを披露。父が広島で原爆投下直後に爆心地近くに入り被爆する「入市被爆」をしたという西野実行委員長(74)があいさつで「昨日は広島に原爆が投下された日だったが、その年だけで約14万人の命が犠牲になり、長崎の約7万人と合わせると20万人以上にもなり、その後も何十年にもわたって被爆者は苦しんでいる。戦争自体が非人道的なものだが、核兵器は非人道、絶対悪の極み」などと訴えた。

 続いて、高知県などの被ばく漁民らの写真集「NO NUKES ビキニの海は忘れない」を発行して日本自費出版文化賞の大賞を受賞した「平和資料館・草の家」(高知市)の岡村啓佐・副館長(71)が「『ビキニ事件』と日本の戦後~なぜ第五福竜丸以外の船は隠ぺいされたか~」と題して講演した。

 岡村さんはビキニ事件について、広島・長崎への原爆投下後の冷戦下の核開発競争の中で起こった未解決事件であると指摘。当時の日米両政府の対応について「被害が公になった第五福竜丸以外の被災船員の被ばくは『なかった』こととし、事件を戦後の闇の中に葬り去る政治決着を図った」などと述べた。しかしその後、事実が次第に明らかにされ、約60年が経過した2014年に国も第五福竜丸以外の資料を初めて開示し、国を訴える裁判が起こされたことなども説明。被災した船は延べ千隻に上るという。

 最後に「核兵器廃絶のために」をテーマに、岡村副館長と西野実行委員長が対談。子どもたちへの平和教育や日本が参加していない核兵器禁止条約の大切さなどについて意見を交換した。

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