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移民の礎築いた偉大な人 みなべ出身の松原安太郎さん紹介

県中南米交流協会の真砂睦代表(奥右)から松原安太郎さんの功績を聞く来場者=みなべ町芝で
県中南米交流協会の真砂睦代表(奥右)から松原安太郎さんの功績を聞く来場者=みなべ町芝で
 みなべ観光ガイドの会主催の「みなべ観光セミナー」がこのほど、みなべ町芝の町役場であった。県中南米交流協会代表の真砂睦さんが、ブラジル移民の父と呼ばれる岩代村(現・みなべ町岩代地域)出身の松原安太郎さん(1892~1961)について紹介し「移民の礎を築いた偉大な人物」と語った。

 真砂さんは「戦後移民の父 松原安太郎に学ぶ」と題し講演した。みなべ観光ガイドの会のメンバーも含め35人が聴講した。

 松原さんは1918年にブラジルに渡り、コーヒー栽培や牧畜の大農場主となった。戦後、日本人家族を移民させる「松原計画」を立て、それをきっかけに多くの日本人がブラジルに渡った。

 真砂さんは松原さんについて「志を持ち、とにかくよく働き、勉強もした。4年で独立して農場を持った」と切り出し、第2次世界大戦後には2千頭の牛を飼い、農園には80人以上が暮らすほど大きくなり、確かな経営手腕で大変な業績を残していると紹介。近代ブラジルをつくったといわれるバルカス大統領の中心的な支援者の一人で、その大統領の助けにより戦後、日本人の移住受け入れが再開されたことを説明した。

 移住計画で真っ先に手を挙げたのが和歌山県で、特に紀南からの移住が多く、三栖村(現・田辺市三栖地域)の医師だった冨家晃さん、清川村(現・みなべ町清川)の村長だった谷口文太郎さんと史郎さん親子の功績が大きかったことにも触れた。

 松原さんにまつわるエピソードも加え「戦後、ブラジルとの国交が回復した際、日本の外交官は先に松原に会いに行ったという。国の政策を動かした相当の人物。ただ者ではない」と述べた。来年、生誕130周年に当たるため「地元で顕彰したい。地域の大事な歴史の一つ。忘れてはいけない」と呼び掛けた。

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