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「田辺県」時代の氏子札見つかる みなべ町の民家

明治4年に発行された木製の氏子札5枚を手にする清水良一さん(17日、和歌山県みなべ町清川で)
明治4年に発行された木製の氏子札5枚を手にする清水良一さん(17日、和歌山県みなべ町清川で)
 明治初期に身分証明書として発行された木製の氏子札が5枚、和歌山県みなべ町清川の民家で見つかった。田辺市などでも見つかっている例はあるが、4カ月間しか存在しなかった「田辺県」の県名が記されているのに加え、2年ほどで制度が中止され不必要になったものであることから、町文化財審議会は「当時を知る上で貴重な資料。残っているのは珍しい」と話している。


 氏子札を見つけたのは同町清川の農業、清水良一さん(81)。昨年秋に自宅の蔵を整理していたところ、布製の袋に入っていた。貴重なものではないかと思い、町文化財審議会委員長の上村浩平さん(66)=みなべ町土井=に確認してもらったところ、氏子札だと分かった。

 氏子札の大きさは5枚とも縦90・5ミリ、横59・5ミリ、厚さ6・1ミリ。表面には「田邊懸南部須賀神社氏子」と書かれて須賀神社の印が押されている。持ち主の出生地である「紀伊国日高郡南部組名ノ内村」や氏名、父親の名前、生年月日、裏面には祠官(しかん、神職)の名前「山之内繁憲」、発行日が入っている。清水さんの先祖、仙七さんやその家族の氏子札だという。

 上村さんによると、重要なのは発行されたのが明治4(1871)年になっていること。江戸幕府を倒した明治維新政府が中央集権化を進めるために、天皇という神的権威を利用し、1869年に各藩の藩主に支配する領地と領民を天皇に返還させる版籍奉還をした。紀州藩は和歌山、田辺、新宮の3藩に分けられ、その後、71年7月の廃藩置県により3藩はそれぞれ和歌山県、田辺県、新宮県となり、その3県は4カ月後に統合された。

 その廃藩置県の際に政府は、全ての国民がどこかの神社の氏子となり、神社が発行する氏子札(守札)を持つことを義務付けた。それが江戸時代の人別帳から代わる戸籍の役割を果たした。しかし、2年ほどで制度が中止されて発行されなくなり、その後、壬申(じんしん)戸籍が作られたことで不必要になったという。

 上村さんは須賀神社が発行していることにも注目。同神社は南部、上南部地域の氏神だが、清川の天宝神社には神職がいなかったことから、須賀神社の神職が発行したのではないかとみている。

 同様の氏子札は、田辺市上秋津で30年ほど前に1枚見つかり、現在は市歴史民俗資料館(田辺市東陽)に展示されている。別の人から、実家に氏子札が保管されているという情報もあったという。

 今回見つかった氏子札は17日、清水さんから町に寄贈された。上村さんは「2年ほどで発行されなくなったことと、田辺県がわずか4カ月しか存在していなかったことを考えれば貴重な資料。明治政府が急速に中央集権化を進めていたことが分かる」と話し、氏子札に関する情報を提供してもらえるよう呼びかけている。

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