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「稲むらの火」伝承を補足 安政地震の被災記録を現代語訳

現代語にした「安政聞録」の一部を持つ阪本尚生さん(和歌山県印南町印南で)
現代語にした「安政聞録」の一部を持つ阪本尚生さん(和歌山県印南町印南で)
現地調査のため訪れた和歌山県広川町の津波跡(阪本尚生さん提供)
現地調査のため訪れた和歌山県広川町の津波跡(阪本尚生さん提供)
 安政地震における広村(現・和歌山県広川町)の被災記録「安政聞録」を、印南町印南中学校で災害学習を担当する非常勤講師の阪本尚生さん(65)が現代語訳した。資料に登場する地名や寺を自ら訪れ、地形なども確認。有名な「稲むらの火」の伝承を補足するような、具体的な被災状況を伝える資料として役立てたいという。

 広川町日本遺産推進協議会のホームページによると、安政聞録は安政元(1854)年の津波の様子を文章と絵で記録した資料。浜口梧陵が村人の命を救うため、稲むらに火を放ったことが分かる避難の実況図も収録されている。15世紀初頭に築かれた波除石垣を高さ約5メートルの津波が乗り越え、村の南北を流れる江上川と広川に沿って激しく流入している様子なども描かれている。

 著者は、しょうゆを醸造していた「井関屋」の家長、古田庄右衛門。広川町にある養源寺に納められた稿本が現在も保存されており、町有形文化財に指定されている。

 阪本さんはもともと理科の教諭で、津波の挙動への興味から、印南町の過去の津波の調査をしてきた。印南中の生徒と共に、地元に残る古文書を読み解いて災害の記録として資料にまとめる活動を続け、その資料は町内に全戸配布して現在の防災に役立ててもらっている。

 現在語訳のきっかけは、テレビの歴史番組に登場した安政聞録を実際に自分で見てみたいと思ったこと。その内容が活字に組み直されている資料を図書館で探し、パソコンに取り込んだ。それを、印南中での災害学習で得た古文書を読むノウハウを生かし、広川町で使われているガイド資料と照らし合わせながら現代語にした。

 現代語にしたのは、広村に津波が来た状況が記された部分。大地震が起こってから津波が来る様子や、庄右衛門の周囲の人々の行動が事細かに記されている。

 浜口梧陵が、積んだわらに火を放って人々を避難させた状況も詳細に記述しており、庄右衛門は梧陵の行動について「誠にその意志は尋常の人の及ぶところではない。まるで神か仏かと感激しないものはいなかった」などと記している。

 安政聞録は当時22歳だった庄右衛門が、自ら体験したことを子孫のために書き残したとされている。津波の出来事を「夢のような実話」と見出しを付けたり、「銭金や美服美宅を望むより、津波地震を思い出すべし」との教訓を書いたりしている。

■現地調査で当時を推察

 現代語訳した部分には、地元に関して約40カ所の地名や寺社が登場しており、阪本さんはそのほとんどに足を運んだ。現在は存在しない地名もあったが、地元住民に教えてもらうなどし、地形や標高を確認して写真撮影した。浜口梧陵の功績を顕彰する「稲むらの火の館」(広川町)の館長の協力も得た。

 阪本さんは「現地に立ってみることで、この辺りまで津波が来たのだろうなどと想像することができた。文章と照らし合わせながら、臨場感を持って安政聞録の内容を確認できた」と語る。現代語に訳したり調査したりしたものをまとめ、専門家の考証を経た上で資料として残していきたいといい「稲むらの火で知られている津波を、被災記録として残しているのが安政聞録。訳してみることで、その被害を詳細に知ることができた。南海トラフ地震の発生がいわれている現在も役立てられると思う」と話している。

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