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小栗判官は一人じゃない? 「再生の道」で安井さん講演

「小栗街道」をテーマに講演する小栗研究家の安井理夫さん(和歌山県みなべ町埴田で)
「小栗街道」をテーマに講演する小栗研究家の安井理夫さん(和歌山県みなべ町埴田で)
 「小栗判官・照手姫」物語のファンが集う「小栗サミット」(実行委員会主催)が5日、和歌山県みなべ町内の宿泊施設で開かれた。物語ゆかりの地である田辺市本宮町湯峯出身の安井理夫さん(84)=田辺市東陽=が「小栗街道」をテーマに講演し「社会的弱者が再生を念じて歩んだ道」と語った。

 サミットは、物語を探求し後世に伝えようと安井さんら全国のファン約30人が1991年に結成した「小栗フォーラム」が同年に開き、今回で15回を数える。県内ではゆかりの地である本宮町2回と上富田町に続いて4回目。全国の会員を含む約80人が参加した。

 安井さんは小栗街道について、大阪府内ではよく知られ、愛知県や岐阜県でも名が数カ所に残っていることを紹介。時宗の開祖・一遍上人の絵伝に病気や物乞いをする人の姿が見えることに触れ「彼らこそ小栗判官のモデルだと思われる」とし、田辺周辺では御幸道である熊野街道とは違った道だと認識されていたと説明した。

 紀南の小栗街道について、みなべ町の郷土史家である山本賢さんから聞いた内容も含めて紹介。同町の千里観音には小栗判官が奉納したとされる木像馬頭観音像が祭られ、鶴の湯は体を休めた場所だと伝えられるほか、町内の各地に小栗街道と呼ばれる道があることに触れた。田辺市や上富田町に向けて海岸から離れた山間の道が小栗街道だとも説明した。

 その上で、小栗街道について「いくつもあるのが疑問だった。歩いたのは小栗一人だと考えていたからだ。体が不自由な多くの人々が、再生を願って熊野へ足を運んだ『祈りの道』を小栗街道と呼ぶようになった。こう考えると小栗街道の名が各地に残っていても不思議ではない」と語った。

 この後、印南町文化協会の会員有志10人が「印南哀史小唄」に合わせてこの日のために作った寸劇「小栗判官・照手姫」を披露し、参加者を楽しませた。東京都の無形文化財に指定されている説経浄瑠璃三代目若松若太夫さんによる説経節「小栗判官一代記より『矢取の段』」の披露もあった。

 6日には参加者45人がバスで、東光寺(印南町)や千里観音(みなべ町)、高山寺(田辺市)、救馬渓観音(上富田町)など物語ゆかりの地を巡った。

 小栗判官物語 毒殺された常陸の国(茨城県)の小栗が土車に乗って熊野まで運ばれ、温泉によって元の姿に戻ったという物語。熊野信仰を世に広めるため、時宗に関係の深い僧たちが創作したとされる。仏の教えを説く説教の一つとして語り継がれ、歌舞伎や浄瑠璃にも発展した。

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